先日29回目の誕生日を無事に迎えました。
まずはブログ更新してなくてすみません。どうせ誰も観ないだろうと悲観し、高を括っていたら直接お会いした数名に「全然ブログ更新してなくない?」と言われドキッとした日が何日かありました。書きたいことはたくさんあったのでゆっくりと記憶を辿りつつ。
まずは…
3月26日に吉祥寺の銭湯「よろづ湯」が100年の歴史に幕となりましてお別れ会があり、そのイベントで唄を唄わせていただきました。
「よろづ湯」に初めて入ったのは吉祥寺「のろ」に2回目か3回目に行った時、当時風呂無し四畳半に住んでいて「のろ」のオヤジ加藤さんに「お前風呂どうしてる?」と聞かれ「東急裏の弁天湯かネカフェのシャワーですかね」と答えると「すぐそこにもあるんだぞ?」と言われこんな如何わしい繁華街の中に?と疑いましたが加藤さんが時計を見上げ「22時半かぁ、今から行くか?」と言われ「何時まで開いてるんですか?」と聞くと「23時か23時半に閉まるんだけど番台のオヤジ、俺が長湯しないの知ってるから入れてくれるんだよ」と嬉しそうに自慢して銭湯に行く準備をし始めました。全てダブのシャンプー、リンス、ボディーソープに長髪をとかす櫛を入れた籠を抱える加藤さんについて行き初めて「よろづ湯」に入りました。加藤さんは僕のお昼にネカフェのシャワーを利用した為持っていた風呂道具(固形石鹸1個をケースに入れただけ)をみて「ダメだよそんなチンケなものじゃ、風呂屋に失礼だろ」と笑い自分の風呂道具を一通り自慢した後「これからここに来る時は俺のこの道具使っていいからな」と言ってくれたのでした。それから僕は加藤さんの風呂道具を借りては「よろづ湯」に入り返しに「のろ」へ行き麦焼酎田苑を飲んでは千鳥足で宮崎荘に帰るのでした。そんな僕をみて歌友(先輩であり親父のような兄のような古くからの友達のような)五十嵐さんが「よろづ湯」に通うようになったり。思い出が沢山あるよろづ湯でした。
3月26日の1週間前、同じくよろづ湯の常連吉祥寺「南郷7丁目」のマスター トシさんから珍しくメールがあり「よろづ湯が閉店するようです。最後にイベントがあるのですが出演しませんか」と。1週間前で準備出来るか詳細もわからないまま二つ返事で「出ます」と返信し、迎えた26日。
無料開放となったよろづ湯には雨の日にも関わらず入りきれないくらいの方々が来場し賑やかかつ和やかな雰囲気に包まれていました。イベントが始まり僕は軽く寝坊して到着し「よろづ湯」のオヤジとご挨拶を。何年も通った銭湯ですがオヤジと話すのは初めてで僕のことなんて覚えているのかなぁと少し不安でしたが顔を見て「あぁ、のろの人だぁ」と優しい笑顔を向けてくれました。それが何より嬉しくて未だに言葉になりません。落語の立川志ら鈴さん、オヤジのトークショーの後オヤジの「彼が唄いますよ」と紹介をいただき暫しの休憩を挟み僕の出番でした。出番前の休憩中、主催者の方から「鈴木さん、すみません。だいぶ巻いてます。10分15分ほど長めに演っていただけませんか?」顔が引き攣っているのがバレないように「わかりました」とハニカミいざステージへ。あんなに足って震えるものかね。何を話して何を歌ったかは覚えていないですが当時のことを思い出しながら感謝の気持ちで唄い続けたことだけは覚えています。
イベントが終わり落語家の志ら鈴さんとお話ししているとよろづ湯に通っていた時期が同じだったこと、同じ札幌出身だったことなどなど。オヤジともゆっくりお話しし、最後の「よろづ湯」を目に焼き付けて僕は新高円寺STAXFREDへ五十嵐さん達ソウブラのライブへと足を向けるのでした。
長くなりすぎたので今回は1部とさせていただきます。2部はまた明日。何部まで続くのか…
ひとまずこれまで。